the way of ○○
可能性の道のおはなし。
あれだけボロボロに泣いた秋のファイナルから1ヶ月経って、だいぶ興奮も冷めてきました。
それでなくてもそこからまたいろんなことがあったから、っていうのもあるんだけどね。
で、可能性の道を聞いててふと英訳が気になった。
まず翻訳サイトで翻訳してみた。
・・・『the way of possibility』。ふむふむなるほど。
今度は“可能性”を辞書で引いてみた。
そんで挙がってきたのがこの4つ。
- possibility
- likelihood
- chance
- potentiality
よく英語で論文書いてて先生に指摘されたりもするんですが、同じ日本語でも英語にすると微妙にニュアンスが違う形でいっぱい出てくるんですよね。
“possibility”って言うのが、所謂日本語どおりの可能性だと思う。
できるかどうかわからないけど、できるとすればどれぐらいの割合で成功するのかなっていう。
“likelihood”はきっと、計算した上での見込みみたいな部分も加えたもの。
やりたいっていう前向きな考えはありつつも、成功する確率はどれぐらいだろうっていう少し冷静な見方。
“chance”は千載一遇の機会*1があるかも!っていう期待。
もしかしたら。。。?の可能性。
“potentiality”は潜在的な*2ものによって困難を打ち破れるのかどうか?って。
普通に訳したら翻訳ソフトのが合ってるんでしょうけど、歌詞を読んだらpotentialityのほうが合ってるのかなって思いました。
(歌詞→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B11166)
物理的な意味でのポテンシャル(位置エネルギー)って意味だけじゃなくて、本当に自分の力で前向きに進もうとするっていうところに“可能性の道”の意味があるんじゃないのかなって。
少なくとも自分はこの考え方が好き。
でも、歌詞にはpossibilityやchanceって意味での可能性も使われています。
結局他人がどうこう言ったところで、自分すらわかっていない自分の道がましてや他人にわかるもんか、と。
そういう意味での可能性、言い換えれば“(誰にもわからない)受身での可能性”とでも言うのでしょうか、そんな意味もあるような気がします。
そもそも、よく考えれば「可能性の道」っていうタイトルそのものが奥深い。
「未来の道」でもなければ「道の可能性」でもないわけです。
だから、今自分が歩いてる道は、その先の可能性を秘めてる道だと。
素敵な出会いによる劇的な可能性もあれば、自分の力で切り開いていく可能性もあるわけです。
その考え方って年齢とか性別とか境遇とか関係なく、生きてから死ぬまでずっとあるんだと思う。(まだ20年そこそこの人生ですからわからんですけど)
改めて聞いてみて、深いなこの曲。
そしてつんくちゃんはホント天才だな。